層雲峡 Life

おさんぽ、お勉強。

 

今日はこんなに良いお天気で、おさんぽも少しいつもより遠回り。

鹿さん達も同じ気持ちだったようで、吊り橋付近で遭遇。

 

 

対岸に鹿さんがいます。

鹿さん達、吊り橋、渡れる事が分からないので、川に降りて行くの図。

 

前にも層雲峡園地前の吊り橋で同じような事があり、私が渡って来たら、

 

お前どーやって来た?

お前、まっすぐきたべ?なして?なして?

 

って、ガン見されまして…

その時、ちゃんと説明したつもりだったのですが、まだ分かってないみたい…

 

私、今、「大忠臣蔵」(1971年)で忙しくて?お勉強中なんですけど、

折を見て、鹿さん達に吊り橋の渡り方について、がりっと教えようと思いまーす。

謎多き、思い出話。

 

今、私の母方で話題の、私の小さい時の話。

 

祖母は、湯治に行く人でした。

私が小学生になる前、その年は赤倉山荘へ湯治へ行きました。

私は時々、祖母を訪ねて赤倉山荘へ行きました。

テントウムシがいっぱい居た記憶があります。

 

その記憶と一緒に、いつもテレビの大画面の前に座るおじさんの姿がありました。

昔、カラオケの映像?って、四角いテープ?カセット?の大きいものでしたよね?

いつ行ってもそのおじさんは同じカラオケの映像を見て、座って居ました。

歌うわけでもなく、黙って見ているだけなので、とても不思議でした。

 

おじさん、映像を指差して、私に言いました。

「あれ、おじさんだよ。おじさん本人なんだよ。」

と。

 

でも、私の目の前にいるおじさんは、映像のおじさんより、老けているし、

顔は青白く痩せており、返事に困った私に、その当時、流行?していた

演歌歌手の映像を見せながら、

 

「今はこういう歌が流行っているけど、おじさんの時代があったんだよ。

おじさん病気になって、今はこんなだけど、おじさん歌うと…」

 

とか、言っていた記憶があります。

 

それから10年は経たないくらいで、朝のワイドショー番組で

あの時おじさんが見ていた映像が流れ、おじさんが亡くなった事を知りました。

 

私の中では、この話のおじさんが一体、誰だったのか?を解決したくて

母に尋ねたのに、叔母さんは私が生霊とあったんだとか、普通は見えないものが見えて、

会話してしまった話だと思い、母に心配するな、おかしいって思うなって話になるわ、

母は、間違いなく、私はそのおじさんに会って、実際に会話したんだよって

いうし、だからあのおじさんは誰なんだ?って私は話を戻すのですが、

私以外、誰もそんなおじさん見てないし、会っていないって話になるのでした。

 

あのおじさん…

色々調べて、はっきりあの人だって私は思う人がいるのですが、

その方は…大御所の方なので、赤倉山荘になんで来ていたのか、謎なんです。

 

だから、叔母の強い念を感じたんじゃないのか?とか何とか系の話に

なってしまうんですよね。

 

私としては、夢とか、おめだの知らない世界みたいな話だとは思ってなくて、

実際会ったし、話をしたと思っているんです。

 

他のおじさんとは違い、私の名前も歳も聞かないで、

おじさんのことばかり話して来たので、とても印象に残っているのでした。