易で占う、私事。

変化、変容

 

 

写真1枚と数行で、と、教えられていますが、今日は少し書きます。

 

9月の半ばあたりからでしたが、自分を取り巻くものの変化と、自分の変容を感じてました。

正しくは、変容の真っ最中かと思います。

 

この流れまでを易で表すと、「山地剥」。からの、「雷天大壮」。

私が易を嗜むようになって、9年ほど経ちます。
「占いは、占い師にしてもらうのではなくて、自分のことは自分で見た方が正しい。」

と、占い師本人に言われ、勉強を始めました。

 

毎日毎日コツコツ、気になる事柄を見つけては今が占期と占い、メモを残す。

占いに傾倒してはならぬと真逆にある仏教も時に勉強しつつ、

何事も中庸が大切とそんな生活を続けること9年…。

 

易とは一生付き合って行くのだろうなと思っていますが、

ここ最近は易だけでは活路を見出せないように感じ、踠いてました。

 

「山地剥」は、嵐が起きている時は外に行かない。お家で避難。みたいな感覚で

過ごすと解釈されるのが一般的ですが、この嵐なのに外に行かなくてはいけないような、

そして、嵐の期間がわたし的には長かった。(おそらく、2年以上)

(比喩的ですが)強奪につぐ強奪。力が剥ぎ取られ、攻撃を受け続ける…

そして私は力がなくなり、0になり、どん底。

 

考えて悩みを繰り返し、しばらく、病みました。。。

 

どん底で感じたことは、今までとは生き方が変わって行くのかな?という漠然とした感覚でした。

その時までは、何事も引き寄せで生きて来られたような感覚でした。

得たいものがあるのなら、それに見合う努力を…のような生き方です。

欲しいものがあるのなら、ただ欲しがるのではなく、努力しようという感覚です。

 

でも、今回はそれではいかない、もしかしたら、引き寄せる生き方が終わり、

違う生き方が出来るようにならないとここからは成長できない、進めないという感覚を感じ、

それは一体何なのか、私は何が怖いのか?など、内観の時間が増えて行きました。

 

森を眺めたり、空を見つめていたり…

側から見たら、相当、かなりやばかったかと思いますが、本人は必死で模索してました。

周りの方々に、多大なる不安を与えていたかもしれません。ごめん。

 

…そうしてるうちに気がついたのです。

これって、手放す。なんじゃないの?かと。

 

大切だって執着しまくって、自分の手に握りしめているもの全て、ぶん投げたら良くないか?

いやいやいや、怖いし、なくなったら嫌だ。

 

なんで、なくなったら怖いの?何が怖い?

なくなるものって何?

 

と、しばらく葛藤していました。

 

 

(続けます)

 

 

写真は、2019年10月1日撮影。

今日現在、もう少し紅葉が進んでいますよ。

火風鼎〜かふうてい〜

2002年6月17日→2017年6月17日。

 

丸15年となる節目の今日、

私の人生にとって次のステップに進むための扉が開きました。

 

そんな今日の日占は、「火風鼎」。

3本の足があって、安定することのできる大きな鍋。

 

気持ちを新たにしっかり歩んでいこうと思います。