私について

そもそもなのですが…

就職活動、ちゃんとしたのですが、

希望したところに就職できませんでした。

 

今はどうなのか分かりませんが、

求人票は学校に届き、その中から希望のお店を選ぶものでした。

 

正直に書きますが、成績が悪かったわけではありません。

自分で書くのは恥ずかしいのですが、トップでした。

 

でも、私は性別が女で、それもお菓子やさんの娘ではないですし、

地方出身者で、和菓子やさんから、とても敬遠されました。

 

酷い話ですよね。

性別が女なら、ダメ。

菓子やの娘じゃないなら、

(早めに)辞めてくれなくて店に残るから女の子はそこまで仕事場には置きたくない。

↑ ここでいう仕事場とは、お菓子を作っている現場のことです。

売り子ならいいけど、職人ではいらないってことです。職人と言いますか、

いくら給料を払って置いてやっても、男とは違い…って、

とにかく女は最後は辞めるからダメという話でした。

 

親元を離れて生活している女の子はダメ。

 

今の時代なら、とんでもない話になると思うけど、

こんなことを発言しても普通に通るような時代があったんですよ、この業界…。

 

とにかく、和菓子やさんに就職したくて、~~~はどうなのか?(受けられないのかの意味)

と、先生に聞いても、

「そこはお前のカラーに合っていない。」

とか、自分の希望だけで、就職先は選べない時代…だったのです。

今から15年くらい前の話です。

 

私にはそんな自由の全くない就職活動時代がありました。

続きます。

 

 

私と、このブログについて

私について

名前  村上直子(むらかみ なおこ)

調理師、製菓衛生師、職業訓練指導員(パン・菓子科)

秋田県調理師専門学校卒業。

日本菓子専門学校和菓子科卒業。

秋田生まれ秋田育ち。

2002年、日菓専卒業後、

秋田に帰り、「菓子工房 よひら」を開業。

当時、和菓子店の開業・経営は夫婦でという考えが当たり前の中、

1人でやれ!と、とんでもない人生の指令が恩師より下り、

王道から外れ、崖から転げ落ちる中、谷底からなのか?、

瀕死の状態からの、1人で淡々と道なき道を行く職人人生をスタート。

和菓子や(よひらは無店舗だったので、”や”です。)を1人で開業し、

経営して行くということを経験させていただきました。

「秋田の素材は素晴らしい」をキャッチフレーズに

自分の目で使う素材を吟味し、秋田の素材にこだわった

丁寧なお菓子作りを続けながら、たくさんのお客様によって

和菓子職人へと育てていただく。

おそらく、女性1人での和菓子やは私が初めて。

お店の名前、「よひら」とは、俳句の6月の季語で紫陽花をさします。

花弁が4枚であることから、漢字で書くと、「四葩」。

よひらの開業は6月17日、私の誕生日は6月18日から

「よひら」と、名付けました。

2014年秋、

長年考えてきたことを形にしたいと、それまで経営してきた

「菓子工房 よひら」の期間未定の休業を発表。

2014年初冬より、北海道と秋田を行き来する生活をスタート。

厨房で調理の仕事、多方面にわたる円滑な厨房の運営方法であったり、

ベテランシェフ・流れ板経験者に様々な教えをいただきながら、

バイキングでオープンキッチンに立って働いたり…

時には、根無草を満喫してみたり…短腹も発揮したりして、

破茶滅茶なこともやってしまいながら、1人、北海道中膝栗毛を満喫。

その後、しばらく北海道の大手ホテルグループの厨房で働き、

コロナ期間があったり、2022年春、秋田へ戻りました。

経歴としてはこんな感じの流れでした。


よひらについて

むか〜し昔。

お菓子業界の”イエローキャブ” を自称しておりました。

お菓子に必要最小限の包装を施し、秋田県産の厳選した素材を使用した

ひよっこ職人の完全”手”作りを全面に出し、

壁もない、屋根もない、吹きっさらしの屋外…

地元最古の商売方法「五城目朝市」で、

お菓子と、職人共々極めて”裸”、もろにお客様を対峙する方法で

販売していました。

文字通り、裸一貫からの出発→だんだん服(包装、お店を持つetc)を着せて行く…

イエローキャブ方式のお菓子やでした。

休業前は、「菓子工房 よひら」でしたが、菓子工房菓子工房…という

お店?が激増につき、菓子工房は卒業、今後、名乗る予定はございません。おそらく。


このブログについて

私が菓子工房よひらで作ってきた和菓子は、

秋田の素材を大切にしたとてもシンプルに、あぁ美味しい…と感じていただけるような

親しみやすい和菓子たちでした。

秋田の素材、それを育む自然、四季…、その中で生きる秋田の人々…

秋田に対して、私が感じているいつくみの気持ちを込めて作っていました。

毎日、お菓子と向き合う生活の中で、よひらのお菓子をもっと美味しく出来たなら…

もっとお客様に喜んでいただけるお菓子を作ることが出来たなら…

私もよひらも、お客様ももっと幸せになれるだろうと考え、追い求めるようになり、

当時、私が行きついた答えは、

○持っている技術に更に努力を重ねること、足りていないものを自分で補えるようになること、

職人として更になりたいものを手に入れること。

○大好きな北海道、北海道の素材たちを故郷秋田の素晴らしい素材たちと同じようにいつくしみ、

使うことが出来るようになること。

○秋田と北海道両方の素晴らしい素材を大切にした、両方を使うからこそ美味しいお菓子を作る、

よひらになること。

でした。

時日は流れ、秋田へ戻り、只今、お菓子から離れた生活をしています。

新しい世界、新しい道…

どんどん、あたらしい新しいに出会い、広がっていく毎日を過ごしています。

現在のブログは、そんな日々のこと、私の心の琴線に触れたものを言葉、

写真でアップしています。


SNS   Instagram

ここで、こぼれ落ちたものをSNSでアップするつもりでしたが、

少しずつ、使って見ますね。