こんばんは。
今夜は、トラバです。
私が頑張りすぎて効果が裏目に…ですが、それは、
前にも触れたことがある、体調を崩してしまい、一度
退学したことです~。
実は…
私、日本菓子専門学校へ40期生で入学したのですが、
卒業した時は、41期生になってました…。
休学するには、百万以上のお金がかかるということで、一端
退学をして、再度入学をすることで、十数万の費用で済ませようと
学校と相談した結果の退学でした。
私が大変お世話になった、I先生の言葉で、
「高い金払ってんだから、元を取る気持ちで先生に聞きまくって
勉強しろ!」
って、言葉があります…
それをリアルでやったわけですよ…私。
もともと、この学校へ進学するにあたり、高校の時の担任に、
「秋田では上がいないから、調子に乗ってられるけど、東京に
行ったら、上がいくらでもいるんだから、世の中を知れ。」
と、40代のおばはん教師に言われたんですね。
もちろん、血の気の多いわたしは、思いきりカチン!なわけで、
だったら、
トップとったる!おまえにも、誰にも負けない!!
と、負けず嫌い、闘争心に火がついたのでした…
そこに、I先生の言葉…
…そしたら、どうなったか?なんて分かりますよね?^^
毎朝5時起床。
おにぎりをにぎり…
8時からの朝練(洋菓子はナッペ、和菓子なら包餡・さじきりなど…)に
むけて、8時からの練習なのに、8時にならないとロッカーが開かないもので、
家から私服の下に制服を着て、ロッカーで、エプロンをつけ、荷物を持つだけの
準備で済むように、少しでも練習が出来るように必死!
授業も先生の1つ1つの動きを見落とさないように、分からないこと、知りたいことは
ちゃんと質問をし…
夕練も出来る時は、必ず参加し…
家に帰ると、テレビをつけ、いつの間にか眠ってしまい、ご飯を食べず。
朝も、食べず…下手したら、昼も授業に関係したことをして食べなかったりして
ご飯いつどんなものを食べたのかも覚えていない生活をしてました。
夜起きてる時は、家でも小さな台所で、包餡や、ドラ焼きの擬似生地を作って
練習していました。
学科の方は、中学卒業後に調理師専門学校へ進学していたので、問題は
まったくありませんでした。
授業で新しい技法を習うと、習得しようと、必死で、ほんと今思えば、恐ろしいくらいの
意気込みでした。
とにかく、朝から晩まで休みなく、菓子菓子菓子!なわけですから、まわりの友達の
ように、デートとか、飲みとかはないんですねw
どこに出かけるにしても、市場調査、菓子に関したお出かけでした。
そんな生活を8ヶ月以上続けてたわけです。
冬に実家に帰ってきたとき、雪かきをしようとスコップで雪をすくったら…
痛いッ!
立てなくなり、椎間板ヘルニアで入院。
足の痺れが取れず、まっすぐ歩けない?というような症状に悩まされ…
というこうになってしまいました…
まわりには、そんな生活してるから、ツケが回ってきたんだと失笑を買い。。。
自分でも問診されながら、自分の生活に驚いていた状態でしたねぇ…
でもね、転んでもタダでなんて起き上がらない、そこらじゅうのもの掴んで
這い蹲ってでも立ち上がる(!?)私は、退学して秋田に居た期間中しっかり
休み、遺跡の調査員(作業員)をして、体も心も鍛え、翌年再入学しました。
もちろん、トップに立ち、しっかり名前を残してきましたよ^^
すんなり前に進まない、寄り道の多い女。
それは村上直子。(母親談)
今は、腰に不安はありません!
腰痛話→完治までもいろいろおもしろい名医のお話もありますが、
それはいつか機会があったらにします。
職人さんの中では、学校に行った奴は、使えないとか、いろいろ
文句のある方もいらっしゃいますが、私のような生徒もいるし、
少なくても、私のまわりの人間は、すっごくがんばってました。
今となっては、怖い思い出?でも、今の私があるのは、あの時、
頑張ったからだと思っています…
長くなりましたが、明日の朝市へは、出店しますので、よろしくです。
シフォンは、「プレーン」です。
では、おやすみなさい。