この記事は、
2008年9月4日にアップしたものを引用・加筆したものです。
昨日の電話で先生が話していたこと…。
ずっと考えながら、今日は仕事をしてました。
私と和菓子。
技術…。お菓子…。
昨日触れたように、私には恩師がいて、恩師達とは別に、
師とする人がいます。
何も分からなかった私を1から育て、世へ送り出し、
今もこの先へと導いてくれる存在。
親みたいと言えばいいのか、でもお年の方ではないですよ、
とても大切な人です。
その人とは別の、ある人が私に話してくれた事。
「人生を生きていく中で、師と仰げる人に出会えた事は
とても喜ばしい事。自分にも師がいるが、もう亡くなり、
直接教えを請うことは出来ないけど、いつも心に想い描いて
いる。何か悩んだりした時には、師ならどうする?師なら…?
と、師の身体はなくなろうとも、自分自身が生きている限り、
自分とともに生き続けるもの。」
だと。
その通りだなと思います。
私も自然にその回路で考えて答えを出しているから。
私の場合、師は存命ですが、一人でやるように、
やり遂げること、どんなことがあっても、お菓子から
離れないことなどを約束している以上、そう簡単に助けを
求めることは出来ないと思って、仕事をしています。
私にしてみると、教えが足りないから、教えてほしい…と
思う時があるけど、師が大丈夫と私を独り立ちさせた以上、
それは出来ない。
言葉で書くと難しくなってしまうけど、お菓子にすると…
素直に、美味しい。師は私の中で、お菓子の中でいつも
ともにいてくれる。
でもね、今の時代は…と続く話を聞き、悲しく思って、
今日1日考えていたのでした。
私が育った環境とは、今はもう違うらしいです…。社会も
時代も…。私の世代が、最後かもしれません。
私は、私の信じる道で、生きていく。答えは何十年も先に
出ることになるだろうけど…だから、苦しくて色々思い
悩むんだろうという結論に、落ち着きました。
2008年9月4日
ここからが今の私の文章です。
今日、↑の中に出てくる、ある人と話すことがあり、色々考えました。
それで思い出して、引っ張ってきた感じです。
あと、お師匠さんとの関わり方でちょっと考えることもあったので。
もしも誰かに、私の思い描く諸々が理想論だと言われることがあったとしても
私は目標を変えたり、目指す高さを低くしたりするつもりはありません。
はっきり、何がどうしたといつも書けずに申し訳ない。
規模を縮小したり、高さを低くしたりしたら、未来はそれ以下にしかならないよね。
私が積み上げてきたもの、私が蓄積させてきたこと、
私の価値は変わらない。揺るがない。他人がどうこう変えられるものではない。
私にあるもので、もしもあなたにはないものならば、
私のこと、いくら否定したとしても、
私にあるものであなたにないものを、あなたが手に入れることは出来ないと思います。
おそらく、一生かかっても。
私、そんなことして手に入れていませんし、今までもこれからも日々努力、
目の前の仕事を丁寧に納めていくのみです。